視覚障害者の方々と協力し、仕事を進めている時、「全盲の天才プログラマーが「大先生」と呼ぶ母の、挑戦させる子育て」というネットニュースを見ました。
危険を承知で、それでも子供のために挑戦させる母がすごい。
この覚悟は簡単にマネできるものではありませんが、だからといってあきらめず、多くの情報を集めて、子供に挑戦できる環境を整えることはできそうです。
子への肯定・親への尊敬
先述のニュース記事からの引用です。
「大先生(母)は、絶対に子どものやりたいことを妨げないし、否定をしませんでした。特に小さいうちは親に何かを否定されたら、子どもは抵抗できない。なんでも“自分には無理だ”という思考になってしまう。大先生が母親で本当によかったと思っています」
天才プログラマー野澤幸男さんの言葉です。
客観的な考察力にも驚かされます。
精神的に自立していて、22歳の青年が言う言葉とは思えません。
幸男さんの発言の中で、母親が「絶対に子供のやりたいことを妨げない」と言っていますが、母親は相当な忍耐が必要だったと思います。
記事にも書かれていますが、子供には、やらせない方が圧倒的に楽です。
「鬼親」とか、「子供がかわいそう」とか、「子供を殺す気か!」とか、親も保身で言われたくないものです。
それでも、悩んで、耐えて、子供の将来を優先した母親の姿を、子供はしっかり見ていますね。大先生と呼ばれています。
3歳から包丁を持たせていた
3歳で両目を失明したという幸男さんですが、具体的に何をやらせていたのでしょうか?
家では3歳から包丁を持たせた。
・・・目が見えない状態で、いきなり包丁でした。
覚悟が違う。
おそらく幼児の多くが包丁に興味を持ち、親は持たせるかどうかの選択を迫られると思います。
幸男さんが包丁を持った約20年前には、ネットもなく、親が自分で判断するしかない時代だったでしょう。
今は幸い、子供用の包丁もあり、大けがを避けつつ挑戦できる環境が整っています。
うちの家庭に覚悟があったわけじゃありませんが・・・
ブログを書いている目の前で、3歳(四男)と、5歳(三男)が、包丁で柿の皮をむいて食べています。
いったい何歳から包丁を持たせたか覚えていませんが、日常的に使いこなしています。(3歳の子はまだまだですが)
おなかすいたら、果物を冷蔵庫から出して、勝手に切って食べます。
うちの場合、単純に子供が多くて「好きにしてくれ」です。
もしかしたら、昔の日本は子供が多くて手が回らないから、「子供がやりたいことを妨げない」という環境が、自然にあったのかもしれません。
今の若者が安定志向だと言われるのも、少子化の影響で過保護になって、挑戦する機会が少ないことが無関係ではないように思えます。
覚悟はなくてもネットがある
幸男さんと母親が困難に立ち向かう話は、3歳以降も続きますが、読んでいて感動するとともに、幸男さんの母親ほどの覚悟を持てない焦燥感がつのります。
おそらく、子供の挑戦のために、こんなに覚悟を持って戦える親は、多くないと思います。
じゃあ、子供に挑戦させることをあきらめるか・・・。
よく考えると、そんなことはありません。ネット活用が今ならできます。
たとえば、
子供「ほーちょー、ちょうだい」
親「え!?包丁?ちょっと待って、調べるから。」
子供に何歳から包丁を持たせていいか、子供用の包丁があるか、ネットで情報や物を手に入れられる時代です。
子供ができるように考案されている道具や参考情報は、想像以上にあります。
本当に子供にあきらめさせていいのか、一度調べるのが良いと思います。
調べるのに覚悟は必要ないですし、子供の挑戦を妨げない方法は、案外簡単に見つかるかもしれません。
危険な包丁の例を話題にしましたが、やはりケガはします。
子供は痛がって、泣くこともありますが、そんなことではめげず、親が止めない限り再挑戦します。
子供の能力が、親の思っているより高いことに気づくキッカケにもなるかもしれません。
論理的思考力とプログラミング
最後に、今後の社会を生き抜くのに必要とされる「論理的思考力」について。
包丁に限らずですが、多くの挑戦で考える力が身に付きます。
来年から小学生のプログラミング教育が必修になりますが、プログラミングで身につく論理的思考力は、普段の生活でも挑戦し、考えることで、自然に身についていきます。
幸男さんが天才プログラマーと言われるスキルが身に付いたのも、幼少の時から挑戦し続けたことと、無関係ではないでしょう。